金が底をつきた パート2 オナニーについての考察

金が底を尽きて数日しているので、底での生活に慣れてきた。慣れると底での生活もそこまで悪くない。

まず朝は野菜ジュースと豆乳を飲む。何かの本で読んだのだが野菜ジュースと豆乳を飲めば一日に必要な栄養素は満たせるらしい。

そして昼はお握りと牛乳 夜は家にあるお米とソーセージ もしくはパスタである。

こう書き出してみると、案外食べている。

それでも先日お金が無いので会社に給料の前借りを申請してみた。

事務のお姉さんに「すいません 給料の前借りをしたいんですけど」というと、

「ちょっとやったことないので…確認してみます」と言われた

「私と貴社の今後の成長と発展の為に、是非前向きなご検討を」と言って事務所をでた。返事はまだ来ていない。

一応その後自分で調べてみると労働基準法第何条かに「前借りは断わってはいけない」という記述がある。もしも断られた時はあのお姉さんに「ここ読んでいただけますか?」と言って労働基準法をコピーした紙を渡すしかない。

でも出来るだけしたくない。私のささやかな社会人経験から導き出した考えだが、

入社一ヶ月で労働基準法を盾に会社の規則を変えようとする奴は激ヤバである。そんな奴は将来ホームレスになるか、偉人になるかのどっちかである。私は偉人にもホームレスにもなるつもりはない。私はサラリーマン金太郎ではない。偉い人がエレベーターに乗っていたらちゃんと降りて待つタイプである。

仕事の方は順調に慣れてきている。最近は空想に耽りながら仕事が出来るようになってきた。

今日はオナニーについて考えていた。オナニーとは結局セックスの代替品に過ぎないのだろうか。ならオナニーなどする必要はないなではないか。なぜならオナニーはどこまで行ってもオナニーなのだ。決してセックスにはならない。

オナニーを極めていき、高級なオナホを買ったり、最高のロケーションでしたりして、どんなに気持ちいい最高のオナニーの解を導きだしたとしても、それはセックスではない。

もしオナニーのレベルを上げていくと、いつの日か「おや、オナニーの様子がおかしいぞ」となってシルエットが変わりセックスに進化するならオナニーをすることに意味はあるだろう。その時は進化したセックスにニックネームを付けるだろう。オナニーに愛着が湧き、セックスに進化してしまなわないように変わらずの石を持つオナニートレーナーも出てくるかもしれない。でもそんな事にはならない。なぜならオナニーはどこまで行ってもオナニーだから。

もしかしたら自覚は無いが、意外と精神的に追い込まれているのかもしれない。前借りが出来ること期待したい。

大体オナニーだのセックスだのに皆頭を悩ませ過ぎである。そんな事は沢山ある選択肢のごく一部に過ぎないのだ。

きっとこんな私に平井堅ら「人生は苦痛ですか? 性交が全てですか?」と問うてくるだろう。

ではまた明日