東大の合格発表 DISHの猫について 2022/03/10
今日は東大の合格発表の日であったらしい。
ツイッターを見ていると、受かりましたというツイートが流れてきた。
まぁ受かった人も落ちてしまった人も、お疲れ様でした(何様なんだ)
来年は俺も受けるのかと思うと、一層勉強に力を入れなければならないなと思う。そんなことを考えながら、仕事をしていた。
昼頃に仕事を終えて帰る途中に猫がいた。触ろうとすると逃げられた。
猫で思い出したのだが、私はDISHの猫という歌が好きではない。
皆は気づいていないがあの曲には重大な欠陥があるのだ。
DISHの猫の歌詞に「猫にになってでも現れてほしい」というのがある。
これは「どんな形であれもう一度君に会いたい」という事を言いたいのだろう。だが私は言いたい。
好きな人が猫に生まれ変わるってかなり幸運ではないか? なってでもという表現はおかしい。
なってでも現れてほしいという表現には、「本来は少し嫌だけど、それでも会いたい」という意味があるはずだ。
「ゴキブリになってでも現れてほしい」ならわかる。
仮に君がゴキブリみたいな気持ち悪い不快な生物
になってしまったとしてももう一度会いたい。という意味として通る。
だが猫では意味として通らない。なんならちょっとブサイクな人間に生まれ変わるくらいなら、猫の方が良いくらいである。「猫になったなら現れてほしい」か「なるべく人間が愛しやすい動物になって現れてほしい」、「犬か猫、ギリファンシーラットになって現れてほしい」に変えるべきである。
私がもっといい猫を作ってやろうではないか。
タイトルも「猫」では無く「ゴキ」
「ゴキブリになってでも現れてほしい〜♪
だって君を家で一匹見かけたら、僕の家には30匹の君がいるんだから〜 寂しくないよ〜」
こんな奴が大学に受かる訳がない気もするが、まぁ今年一年頑張ってみます。
ごめんね あいみょんと北村くん 許して
ではまた明日