図書館で勉強 マックのコーヒー 2022/02/03
仕事が10時に終わった。家に帰ったら即座に勉強道具の入ったリュックを持って図書館へ向かった。
図書館での勉強の良い点は静かであるという点と、周りが勉強しているからやる気になるという点である。
周りで勉強している人達は、多分現役の受験生であろう。
現役の受験生を見ていると、自分が受験生であった時のことを思い出す。
あれは5年前 まだ私が人を殺す事の善悪がついていなかった18歳の頃(18でその善悪ついてないのかよ)
その頃の私は勉強する事が偉いという間違った考えに侵されていた。
例を上げるとその頃マックのコーヒーのおかわりが無料であった為、昼頃にマックに来店しそこからコーヒー一杯の代金でずっと居座って勉強するという迷惑行為をしていた。申し訳なさを抱えながらその行為をしていればまだ救いもあるのたが、あろうことかそれが偉い行為のように思っていた。愚かである。
100歩譲って私が医学部志望なら勉強も偉い行為と言う事ができるかもしれない。ここで勉強する事が回り回って、おかわりのコーヒーを私に軽蔑の目を向けながら運んでくる女子高生バイトのいつかする大病を救う事になるかもしれない。まぁその論理もかなり苦しいが。
でもその時の私は滅茶苦茶文系であった。文系の勉強がどうして偉い物になるだろうか。
そう思うと、この5年間で私は成長していると感じる。
今の私ならまずコーヒー一杯で何時間も居座るということない。というか恥ずかしくて居座れない。
なんなら図書館で勉強している時も、何故かよくわからない申し訳なさを感じて、わざわざ一番端の椅子に座ってるくらいである。
私が大学受験に合格したあかつきには、かつて私にコーヒーを運んでいた女子高生に会いたい。そしてかつての無礼をわびたい。
最初は彼女も私が誰かわからないだろう。
そこで私が一言「コーヒーのおかわり貰えますか」という。
すると彼女は「あああああああ…」とまるで一度デスノートの記憶が無くなっていた夜神月が、再びデスノートを触って過去の記憶を全て思い出した時のような雄叫びをあげて私の事を思い出すだろう。そうしたら次に謝罪である
「余計な仕事を増やしてしまって申し訳ありませんでした」と、そして「なんかいつ行っても働いてるし、ほぼ毎回私へのおかわり持ってくるの貴方だったので、心の中で『助手』と読んでいました」と
彼女は笑って許してくれるだろう。これが森ノーカのハッピーセットである。
いやはや童貞の甘い妄想である。許されるかどうかなんて謝ってみるまでわからない。世の中はマックシェイクのように甘くはないのだ。ボンカレーはどう作ってもうまいのだ。
ではまた明日