理想の死に方 2022/02/01
今日初めていわきの図書館に勉強に行った。自分以外の勉強をしている人達は学生さんに見えた。若々しくて素敵である。それに引き換えこちらは…そう思うと病んでくる。
ハァ…死にたい…。そういえば理想の死に方とはどういう物だろうか。死に方というよりは理想の自死。
まず一般的に良いとされている安楽死。これはどうだろう 痛みを感じず、安らかに眠るようにこの世を去る事ができる。だが私はこれに魅力を感じない。
もし仮に私の人生が華々しく綺麗な物であったならば、安楽死も良いだろう。綺麗な人生という物に最後に綺麗な丸のピリオドを打つように安楽死をする。これは悪くない。
だが、自殺を選ぶような悲惨な人生の場合、安楽死で終わるのは、私は嫌である。
これまで感じた事が無いほどの激痛に侵されながら死にたい。そのほうが、死ぬ寸前に自分の人生がいかに悲惨な物であったと言う事を、読んで字のごとく痛感する事ができる。悲惨な人生を終えるならば、その終え方も悲惨であった方が物語として締まる感じがする。
じゃあ理想の死に方は一体何か? 私は、駅のホームで線路に落ちた子供を助けて、その子の身代わりとなって死にたい。
この行動によって、それまでどんな悪人であったとしても、全てひっくり返るような気がする。そしてそれまでどんなに、親が産んだ事を後悔するような人間であったとしても、その行動によって、親のその人間をこの世に産んだ事への後悔が一気に無くなるような気がする。
そして自分が命を顧みず子供を救う事によって、自分がこの世の中に産まれた事に、意味や意義があったと思う事ができる。
でもこの死に方にも2つ問題点がある。1つは駅員さんに迷惑がかかるという点。
そしてもう一つは、運が悪いとそこまま黒い球体がある部屋で目を覚まし、ピチピチの黒い服を着て宇宙人と戦わなければならなくなるという点である
以上です 後私は病んでいません。
また明日