仕事 友蔵 10/14

最近更新出来ていなかった。正社員になって2週間 社会という波に揉まれに揉まれまくっている。もし俺が女で社会が男だった場合セクハラで訴える。それくらい揉まれている。もし俺が鶏肉で社会が醤油だったら中心まで味が染み込んでいる。それくらい揉まれている。

仕事は10時間立ちっぱなしの労働である。一日終えるともう足が棒になる。家に帰ると一歩も歩けなくなっている。立っているのも辛いので四足歩行で歩く。すると飼い犬のブブアに変な動物と勘違いされて吠えられる。二階にあがる。掃除が行き届いてピカピカのフローリングの上に犬のコロコロうんこが置いてある。非常に頭に来る。 「これはきっとブブアなりの『お仕事お疲れ様』というメッセージなのではないだろうか」そう思って心を静める。ブブアも私をねぎらってくれている。ありがたい。こんど「お前はいつも可愛くて癒されているよ ほんとうにありがとうねぇ」というメッセージを込めて上から小便をかけてあげようと思う。

話は変わるが疎遠になっていた友蔵という友達と昨日久しぶりに会った。仕事を終えて家に帰ると駐車場に見慣れた車が止まっている。友蔵のタントである。

家に入ると友蔵がいた。一緒に寿司を食べに行った。就職祝いに私を労いに来たらしい。

一応二階の部屋にウンコをしてないか聞いてみた。してないと答えた。良かった。

寿司を食べながら近況を報告した。友蔵は彼女とも上手く行っており、今度資格を取るために専門学校に行くことを決めたらしい。親も彼女もそんな友蔵を応援しているとのこと。少し羨ましい。私ももし出来ることなら学校に行きたい。でもまぁ仕方ない。

友蔵と疎遠になったきっかけは、友蔵が学歴詐称をしていることをカミングアウトしたことだった。大学卒と聞いていたが、本当は中卒だった。

だが今やりたいことを見つけてそれに向けて勉強してるならそれでいいと思う。

どこの大学を出たか、どこの高校を出たか、そんな事は関係のない事なのだ。

寿司を食べ終えた後、私を家に送りは届けて友蔵は帰っていった。

友蔵よ お前がどこの大学を出ようが、どこの高校を出ようがどうでもいい。

ただ最後に一つ、お前や俺みたいなろくでもない子供を愛してくれる親、 そんな親への

『親孝行』親高校だけは何年かかろうがちゃんと卒業しなきゃダメだぞ 私はそんな思いを胸に空を見上げた。空には星が、迷った旅人の道しるべとなる北極星が、キラキラと輝いていた。

パリより愛を込めて さようなら

明日からブログ、更新していきます

俺は俺が思う10倍無能な人間なのだ 9月26日(月)

ここ三日間ほどで如何に自分が無能であるかをこれでもかと言うほど思い知らされた。

まず始まりは先週の木曜日 車の修理を依頼している整備工場からの電話が来た。

「すいません いつ車検証持ってきていただけますか? 」

車検証が車に入っていない事は一週間ほど前、事故った日に車を整備工場に搬入した初日に伝えられていた。持ってきて欲しいことも伝えられていたのだが、修理が終わった後に代金を払う時にでも渡せばいいのかと思っていた。もう修理に入っていると思っていたのだが、車検証が無いと修理に入れないらしい。

車検証だけを郵送で送ればいいのだが次の日が秋分の日そして土日と三連休で郵便が動かない。そうするとどんなに早くても車検証が着くのが来週の火曜日になってしまう。

なるべく早く車検証が欲しいと圧をかけられ、その圧に負けて日曜日に自分で届けに行くことになった。その修理工場は家から150キロほどある。

日曜日の夕方にお邪魔すると伝え、昼間に携帯の充電を満タンした後、レンタカーで家を出た。詳しい場所がわからないので携帯のナビを使う。その時に万が一にそなえて充電器を持っていこうかとも思ったのだが、(まぁ充電満タンにしてあるし持つだろう)と持っていかなかった。

すると100キロほど走った所で携帯の充電が切れた。

切れた直後は(まぁ、上の青い看板を見ながら行けば着くだろう)と思っていた。

だが上の青い看板には私の行き先の街の名前は表れなかった。

結局引き返していわきに帰った。無駄に200キロ車を走らせガソリンと時間をただただ消費した。この200キロで我々はなんの成果も得られなかった。しかも携帯の充電も切れているので、整備工場にも電話が出来ない。整備工場の主人からしてみれば約束の時間になっても来ず、連絡もつかないブッチ野郎である。

なぜここまで人に迷惑ばかりかけるのか。車の中で3度ほどえづいた。打ちしがれながら家に帰り寝た。

次の日の朝、私は気合いを入れていた。整備工場に謝罪の電話を入れ、今日必ずお邪魔すると伝え、携帯の充電を満タンにして、充電器を持って家を出た。そして片道150キロ走り、約束の時間の30分前に整備工場についた。整備工場の主人には昨日の謝罪、そして車検証をしっかり渡した。 少し早めに着いたので置いてある車の中にある荷物やゴミをを乗ってきた車に移そうと思った。散々迷惑をかけた整備工場の人に、修理にするときに(汚い車だな)と不快な思いをさせたくなかった。

置いてある車の鍵を借りて車を開け、荷物を全て乗ってきた車に移した。「修理お願いします」そう言って車に乗ってまた150キロ車を走らせる。いわきに入ったあたりでふと携帯を見た。その整備工場から電話が来ていた。

車を止めて電話を折り返す。すると出た主人が一言

「車の鍵ってどこに置かれました?」

私はおそるおそる自分の右ポケットを探った。

四角い電子キーがそこにはあった。私は全てを理解した。私は謝った。主人は笑っていた。

主人には明日届けに来て欲しいと言われたが、断った。私にはもう往復300キロを運転する気力が無かった。

「少し時間はかかりますが鍵を郵送ではダメでしょうか?」そう聞くと主人は「まぁそれしかありませんよねw」と言った。

なら最初から圧に負けずに「車検証を郵送で送ります」と言えば良かったではないか。この2日間の徒労とガソリン代は全て無駄であったのだ。帰りの車内で八回えづいた。

何故私はこうも人に迷惑をかけるのだろうか。いつになったらちゃんと一人で生きれるようになるのだろうか。

家に帰って配信で今日のことを話した。少しだけ楽になった気がした。

以上です。

 

 

 

初出勤 9/10(土)

2022年9月7日 この日はなんの日だろうか?

有名な人の誕生日?ノン 気になるあの子の誕生日?さらにノン

この日は私が初めて正社員になった日である。

9月6日の夜 私は遠足前日の様な高揚感と、夏休み最終日の様な喪失感の2つを胸に抱えながら、静かに睡眠という海に溺れたのだった。

ピピピピ 無機質でけたたましい電子音が睡眠の海から私を引きずり出す。

風呂に入り、髭をそり、新しい服に着替える。靴下の色を黄色にしたのは、私の心の角にある、ささやかな社会への反骨精神からてあろうか。

会社につく。中年のハゲたおじさんと一緒に作業着に着替える。

そのあと作業にはいる。作業内容は機械で部品を削り、加工していくという物である。

最初なのでわからない事を丁寧に教えてくれているのと、単純作業なのでそこまで苦には感じない。

初日ということもあり、午前中で作業は終わった。明日からは本格的に八時間の労働になる。かなりキツそうである。

私の人生はどうなるのだろうか。この仕事をいつまでやり続けるのだろうか。先のことはわからない。

初日から不安でいっぱいのまま家に帰った。正直明日働く気力が湧かない。もうバックレようと決意した。

家に帰ってゲームをした。最近はパワプロをやっている。マイライフという自分がプロ野球選手になるモードで、私は打率6割 ホームラン60本の成績を叩き出している。

マイライフ内で商店街を歩いていた。するとある女性に声をかけられた。本若春陽という女性である。私は彼女に告白した。

私の告白に対して彼女は「はい喜んで」とニッコリと笑顔を浮かべた。

その瞬間工場の不安 疲れ が全て吹き飛んだ。

彼女の笑顔のために働こう。そう思えた。 

それから春陽といろんな所へ行った。遊園地、カフェ 商店街。彼女はいつも僕に笑いかけてくれた。

だが、私は彼女に嘘をついている。彼女は僕の事を打率6割 ホームラン60本 高卒一年目にして阪神タイガースの四番を勤めている選手だと思っている。

でもそれはマイライフの中だけである。現実は違う ただのしがない工場の作業員である。

それをいつか春陽に言わなければならない。彼女は幻滅するかもしれない。でもこのまま嘘をつき続けるのはとても辛いのだ。

そのあといてもたってもいられなくなりジムに向かった。身体を動かし汗を流す。こんなだらしない体型では春陽が二次元から現実に遊びに来たときに幻滅されてしまう。

とにかく自分の肉体を追い込んだ。耳にはイヤホンを付け、音楽を流して気分を高めている。

音楽のサビが流れてくる。同時に私もサビを叫ぶ。

「It's my life 」

ではまた明日 ヤー

 

 

陽性 8/23

私は死ぬかもしれない。 半分冗談で半分本気である。遺書のような物をブログに残しておこうと思う。

私は1998年12月28日 森ノーカ家の長男として産まれた。

幼少期の私は体が弱く内気な少年であった。幼稚園では一人輪に入れず、母親が心配して先生に相談したりしていたらしい。そんな自分を変えようと、幼稚園の最後の劇で、主役に立候補した。だがもう一人立候補した子に多数決で負けてしまった。

結局私は「蛇の先生に相談しよう!」というセリフ一言だけの脇役に回されてしまった。

小学生になってもその性格は変わらず、休み時間は図書室で毎日本を読んでいた。

かといって別に本が好きでも無かった。ただ何もしないよりマシなだけだった。

中学生になって少しずつ友達が出来てきた。自分は元々面白いことを言うのが好きなタイプだったのだなと気づいた。その後高専に入学した。鶴岡の高専は全寮制であった。友達と毎日修学旅行のように過ごせると、期待に夢を膨らませていた。だが実際は小学生の頃の図書室通いに戻ってしまった。だが学校の敷地内に寮があったので、なんとか通い続ける事ができた。その後大学生になった。

大学は実家からでも通える距離だったのだが、親にお願いをして一人暮らしをさせて貰った。大学で出来た彼女や友達と朝まで部屋で飲んだり食べたりする生活に憧れを持っていた。だが実際はそんな事は一度もなかった。キレイでこじんまりとした部屋に、ただゴミ袋が日に日に積み重なっていくだけだった。そんな日を続けて結局退学してしまった。大学を辞める日、親から高級最中の袋を渡され「迷惑かけた教授に渡してこい」と言われた。だが教授に合わせる顔が無くて、大学の研究室にあった冷蔵庫に勝手に最中を置き、そのまま大学を出た。

今でもその最中は冷蔵庫の中にあるのだろうか。あるなら是非捨てて欲しい。

その後はあてもなくバイトをしていた。ただひたすらにバイトをして、寝るだけの生活であった。唯一の趣味はニコ生であった。

だから加瀬ちゃんが同居人を募集した時は、いの一番に手を上げた。元々もう一人合わせて四人でシェアハウスをする予定だったが、直前でもう一人の子の親からNGが出てしまい、夫婦に私一人が加わるという奇妙な構図になってしまった。

そしてなんやかんやあってウンコ顔と呼ばれるようになり、頭を六針縫い、コロナウイルス陽性になって、今に至る。

コロナの感染経路はわからない。だが現在怪しいと思うのは、三日前に愛知から来たリスナーか、二日前に行ったアイドルフェスだろう。どちらでも別に、自分の認識の甘さと言う他無い。

話は変わるが

アイドルのフェスを見ながら私は思った。私はアイドルになりたいのかもしれない。

大勢の客の前で弾ける笑顔で踊り、可愛い声で歌い、熱狂の渦に包み込む。

前髪を作り、ツインテールを上で結び、多感な十代の揺れ動く恋心を歌いたいのではないか?

こんなことになるならそう生きれば良かった。誰にバカにされようと構わないじゃないか。アイドルとは他称するものでは無く、自称するものではないのだろうか。胸を突き刺すようなBPMと大声を上げるオタクに囲まれながら、そんなことを考えていた。

9月から正社員として会社に勤める。その会社に「すいませんコロナウイルス陽性になりました」というのはとてもキツい。

なぜなら「すいません頭を六針縫って一ヶ月入社遅れます」ともう言っている。

いつになったら来んねんこいつと思われるに決まっている。幻のシックスマンと呼ばれてしまうかもしれない。

一度全てを無にして、生き方を改めなければならない時に来ているのだろう。今年で24歳。もう遊んでて良い年ではない。来年にはアラサーである。

もう一度、産湯に浸かっていたあの頃から人生を考えなおさなければならない。

誰かにこの思いを相談したい。誰かにこの思いをきいてほしい。

私は無意識にある言葉を呟いていた。

「…蛇の先生に…相談しよう…」

ではさようなら 今までありがとうございました。

 

 

オナニーについてパート2 8/10(水)

昨日のオナニーについてブログにしたことで他にもオナニーについての事を思い出した。

それは中学一年生の時の事である。

その時私は将来創造性のある仕事につきたいと漠然と考えていた。

例えば漫画家、小説家、YouTuber、映画監督のような物達である。今思うと少し恥ずかしいが、まぁ子供なんてそんなものであろう。

そして日常の中で創造性を高める訓練が出来ないものかと日々考えていた。

そして私が創造性を高める為にした事、それがオナニーを想像でやるといったものであった。(ここから想像と創造が交互に出て来て紛らわしいかもしれないので注意してお読みください)

オナニーは映像を見ながらやるのが普通だろう。たが想像でエロいシーンをかんがえながらやることによって頭で物語を考える力や、想像力が上がるのではないか、そしてその力が将来する創造的な仕事に役に立つのではないか、そう考えたのだ。

そしてその日から想像でオナニーをしようと試みた。だが当時の私は童貞であった(今もだが)為、エロいシーンを想像しようにも、キスシーンより先が思いつかない。

そんな私が苦肉の策で編み出した技。それはまずAVを見る。そこではオナニーをしない。

そしてAVが終わった後に目を閉じてそのAVを脳内で再生する。その脳内での再生時に女優の顔を自分の好きな女の子や女優やアイドルにするといったものだった。

近年ディープフェイクというAVの映像の女優の顔の部分を芸能人の顔に変えた映像がネットに出回って問題になった時があったが、私は10年前にもう時代を先取りしていたのだ。

この方法でオナニーをしていたのだが、1ヶ月ほどしたところで、頭が痛くなった。きっと脳内のcpuと身体のcpuを同時にフルで使いすぎてオーバーヒートを起こしてしまったのだろう。それから二度と脳内ディープフェイクをすることはなかった。

数年後たまたま見ていたテレビから平井堅の瞳を閉じてが流れてきた。

「瞳を閉じて君を描くよそれしか出来ない~♪」

平井堅も俺と同じように悩み、同じような経験をしたのだろうか。と僕は思った。

なんか書いていて虚しくなってきた。本当に気持ちの悪い男である。

皆さんこれからも仲良くしてください

ではまた明日

 

オナニーについて 8月9日

夜に加瀬ちゃんとジムに行った。もう立てなくなる限界くらいまで自分を追い込んだ。

そのあとスマホを見ると岡田さんが配信をしていた。枠のタイトルは「一時間半自慰をするも写生できず」であった。

そのタイトルを見て、学生時代の自分のオナニーを思い出していた。

私は学生時代モテなかった。日々モテる方法をネットで検索していた。

ネットの中で気になる記事を見つけた。それは「オナ禁(オナニーを禁止すること)をするとモテるようになる」という物だった。

その記事の中では一ヶ月ほどで少しずつモテるようになり、50日を越えた所で見違えるようにモテるようになるとのことだった。

学生時代の私はその記事に心を奪われた。

そしてその日から私はオナニーをやめた。辛い日々であった。悶々として眠れない日々もあった。だがモテるためと自分を制した。(別に精子と掛けているわけではありません)

そんな日々を一ヶ月を過ごしたある日、英語の授業中に英語の教科書を見ていた。

その時ふと教科書の端に目が止まった。そこには外国人の中年女性がいた。私はその中年女性に今まで覚えたことがないような興奮を覚えた。

別にその女性がセクシーな格好をしていた訳でも、滅茶苦茶美人だった訳でもない。

教師の言葉などまったく頭の中に入ってこなかった。考えるのはその女性の事ばかりだった。

その日の夜家に帰り私は考えた。これは身体が私に送ってきたSOSなのではないのだろあか?

別にセクシーな格好をしている訳でもない写真の女性にここまで興奮するという事は、

「あなたこれ以上オナ禁すると、本当に抑えきれなくなりますよ、 写真でここまで興奮するってことは、実際に女性を目の前にしたらヤバイですよ」僕の体はそう訴えかけているのではないだろうか。

その日から私はオナ禁をやめた。一ヶ月間のオナ禁の間、モテてるという実感は特になかった。

ただ一回「すいません ◯◯駅ってこっちですかね?」と女性に話しかけられたことがあった。それはオナ禁の効果なのだろうか。

真実は闇の中である。結局何が言いたかったのかわからなくなってしまいました。 ではまた明日

気持ち悪くて申し訳ありません。

ワンピースの映画を加瀬ちゃんの姪っ子と見た

8月6日からから公開されたワンピースの映画が気になっていた。ちなみにワンピースとは主人公のモンキーDルフィがワンピースという謎に包まれた宝を探す物語である。まぁ今更ワンピースの説明もいらないとは思うが。でも一人で行くのも味気ない。でも誘える友達もいない。

加瀬ちゃんの姪っ子がちょうどお婆ちゃんの家に帰省してきているらしい。

半分ボケで「姪っ子連れてワンピース見てこようかな」と言ってみた。

すると「えっ!ちょうどなんか明日ワンピース見に行くらしいよ」とのことだった。

そのままあれよあれよと話し進み、なんと次の日の夜八時から一緒に映画を見に行くことになった。そして映画日当日。

いざイオンの映画館で待ち合わせとなった。私は本日二度目の風呂に入った。映画館は長時間至近距離になる。決して臭いなんて思わせてはいけない。

緊張からか少し早めに待ち合わせ場所についてしまった。

姪っ子が来るまでの時間、私は物思いに耽っていた。

いつか子供と一緒に映画を見る。そんな将来を夢見たこともあった。

でもそれを達成するには乗り越えなければならない壁がある。

恋人を作り、同棲をし、結婚し、子供を産み、子供を育てる。そこまでしてようやく、子供と一緒に映画を見ることが出来る。そんな遠い将来の事だと考えていた。

でも実際は違う。今日全てを吹っ飛ばして子供達と映画を見るのだ。

子供が来た。楽しみで浮き足だっているのが手にとるようにわかる。

発券をして座席に座る。映画開始時間ギリギリに集合してしまったせいで、ポップコーンを買えなかった。ここでスマートな紳士なら、待っている時間にポップコーンを買っておくのだろう。経験不足が露呈してしまう。

映画が始まった。子供と映画を見る経験は初めてたが、一人で見るより、かなり疲れる。

映画が終わる。正直微妙だった。敵の女の子の能力がほぼチートレベルに強すぎるし、アドの曲がこれでもかと流れる。

子供達を感想を聞くと「楽しかった!!!」と答えた。子供が楽しめたのならよかった。二人とも笑顔だった。

この笑顔はどんな財宝より光ががやき、どんな宝石より価値があるだろう。

その笑顔を見て私は思ったのだ。

この子供の笑顔こそ、本物のワンピースなのだと。

ありたっけの夢を~かき集め~探し物探しにゆくのさ~

ポケットのコイン~それとユアナビマイフレー

ウィーアー ウィーアー オダクー ウィーアー

to be continued

ドンッ!!!