加瀬ちゃんの配信を見て 後半は青年の主張的な 2022/01/21
昨日の夜加瀬ちゃんの配信を見ていた。
加瀬ちゃんはつぅさんという女性リスナーとねこくんという男性リスナーと一緒に楽しくお酒を飲んでいた。
加瀬ちゃんの飲み配信では、たまにコメントで俺の名前も出ていた。俺の名前が入っているコメントは
「つぅさんとねこくんが楽しく喋ってるから森が嫉妬している」みたいな感じのコメントであった。
確かにねこくんは俺より遥かにイケメンだし遥かに場を盛り上げる能力も高い。女性に好かれる能力で言えば俺の大敗である。
でもだからといって俺の全てがねこくんに負けているとは思わない。
例えばつぅさんやまりにゃんが見ていると承知の上で俺は自分が山でオナニーをした事をブログに書いた。なんなら多分親も見ている可能性が高い。もちろん嫌われるのも引かれるのも全て承知の上で。案の定つうさんは笑えないくらい引いていたらしい。
そういう度胸では俺はねこくんに勝っている。
女性に好かれる部門で一敗、女性が見ていると知った上でオナニーの話が出来るという度胸部門で一勝 これでイーブンである。(本当にイーブンか? 2連敗じゃないか?)
まぁ半分冗談だけど半分は似たような事を本気で思っている。
いつからこんなに異性にモテることが人生の全てみたいな風潮になったのだろう。
確かに異性にモテることは凄いことだし、人生を彩る色彩の一色であることは認める(オシャレな言い回しだと思いませんか?これ)
でも時として世間は、モテる=人生の勝者
モテない=人生の敗者という方程式を押し付けてくる。
一度子供の頃に帰ってみよう。モテるモテないなんて考えも一切無かった、純粋なあの頃。性欲が身体に宿る前の幼少期。僕達は何になりたかったのだろうか。
男の子は仮面ライダー、ウルトラマン 女の子はプリキュア セーラームーンであったはずだ。
純真無垢な心はヒーローに憧れたのだ。
何故ヒーローに憧れたか? ヒーローが異性にモテるから?違う ヒーローになれば遺伝子を残しやすいから?それも違う。
僕達は人を自分の身をなげうって人を助ける姿に憧れたのだ。決して逃げずに悪に立ち向かう姿に僕達は釘付けになったはずだ。
もう一度原点に帰るべきなのではないか? いや皆が帰らぬと言っても私一人で帰らさせて頂く。
貴方達はこれまで通り女の尻を追いかけ回す日々を送ればいい。
だが私はあなた達が女の尻に夢中で知らぬ間に踏みつけたタンポポに水をやり、貴方達が性的に無価値と切り捨てた老婆に手を差し伸べる。そういう生き方をしていくつもりだ。お婆さんを助けるのはいいぞ。なぜなら「ありがとねぇ」という感謝だけで終わらず感謝の印に飴玉もくれるから。
だがそんなことを言いつつも私は決して女性の尻を追いかける事が無駄だと一蹴するつもりはない。追いかけ続けていればいつかはこちらを振り向いてくれるだろう。振り向いた彼女はさぞ魅力的だろう。
だがその魅力的な女性の美しさに、なんど踏まれても立ち上がってくるアスファルトの間から生えるタンポポの美しさが負けているとは思わない、
その魅力的な女性とかわす甘い口づけや甘美な行為に、感謝の印の飴玉の甘さが負けているとは思わない、というだけなのだ。
これは決して強がりではない。仮に強がりだったとしても俺は墓場まで強がり続けるので問題はない。悔しさで唇を噛みながら涙を流すのは墓場の中の誰もいない場所でやることにする
ではまた明日